Dr.Kukky7のサウナ日記

ただのサウナ紹介ではなく、多少随筆調、論考調になっています。コメント等あれば、kukky7422@yahoo.co.jpまでどうぞ。

もう1年経ってしまった。

前回の更新よりもう一年経ってしまった。サウナに行く機会もめっぽう減ってしまい、このブログも随分とご無沙汰してしまった。生活がテレワーク中心になり、街中に行く機会が減ってしまったことも大きな要因だ。

緊急事態宣言下でもサウナは営業しており、盛況と聞く。会話は控えて、館内ではマスク着用。昨年の今頃と違い、比較的感染リスクも客観的に把握できるようになっているので、ルールを守ればほぼ大丈夫ということだろう。とはいえ、気軽にいける感じでもなくなってしまった。こんな空気のよどんだ時期だからこそ「サウナ」なのだが、サウナはたいてい街中にある。「リフレッシュする」ために「人混みに突入する」という矛盾。

ようやくワクチンも医療関係者、高齢者、基礎疾患保有者に続き、その他の人々にも打たれる見込みが立ちつつあり、ひと段落つけば気兼ねなく街へ出かけ、サウナ生活を再開することもできるだろう。オリンピック後には社会の雰囲気も随分と様変わりしていることを・・・祈るばかりである。

 

サウナに行きたい

コロナ禍のおかげでほとんどテレワークになってしまい、外出自体がほとんどなくなってしまったのでサウナに行く機会もめっきり少なくなってしまった。精神的にも閉塞感満点でもうまいってしまった。

久々に「湯けむりの里 すすき野」に行き、併設しているサウナに入って改めて実感したことは・・・

 

「サウナは精神的に良い」ということだ。

 

毎日のようにサウナに行っていると忘れることがある。どんなにハードな仕事で追われても、どんなに嫌な思いをしていても、サウナに入ってしまえば「一旦気持ちがリセット」されることを。いっぱいいっぱいという状況でも、それは精神的な負荷がそう思わせているだけで、サウナがその限界を突破させてくれることを。

 

 

サウナと浴場

このブログで「サウナに行く」という場合、実は、一般にいわれる「スーパー銭湯」や「普通の銭湯」も含まれている(結構アバウト)。いわゆる「サウナー」といわれる人々が何をもって「サウナ」といっているのかはわからないが、自分なりの風呂付きサウナとサウナ付き風呂の区分をするとこんな感じ。

 

ロウリュウがある(スカイスパとか楽天地とかアムザとか):これは「サウナ」に分類(それが目当てでそこに行くから)

 

・ドライサウナに加えて、スチームサウナもある(あるいは低温と高温がある):これは微妙(ラクーアとか那覇のリッカリッカの湯はスーパー銭湯だろう、やっぱり)

 

・サウナに比して風呂が小さく、特徴がない:これはサウナに分類かな? (お客がサウナ目当てで行っている可能性が高い)

 

・はっきりいって「昭和」である:なぜかこれはサウナ。おっさんサウナーの一員として譲れないところか。

 

・休憩室が休憩ではなく、回復といった感じ:これはサウナに分類。風呂上がりとサウナ上がりの違いは後者の「疲れからの回復」感の共有だと思っている。

 

・そこそこ大きなサウナなのにBGMやテレビがない:これはサウナ。サウナーはそんなものはいらない。

 

サウナの滞在時間

私の場合、サウナの滞在時間はほぼ決まっていて、1時間30分か2時間である。最初の40−50分サウナに入って30分ほど休憩してまた20−30分ほど入って帰るというのがパターン化されている。ロウリュウサービスがあれば、その時間に合わせるために多少の時間配分が変わることになる。毎日それなりの仕事量があるので、半日ゆっくりというパターンはない。一日中仕事をしないと不安になってしまう。サウナをうまく織り交ぜることで仕事のモチベーションを上げようという効果も期待している。

 

「ワークライフ・バランス」ならぬ、「ワークサウナ・バランス」。

 

そういえば、都心にある某サウナでは休憩室で「ビジネス」している人をちょいちょい見かける。今ではPC一台で仕事を進めるフリーランサーが増えたのかもしれない。普通のサラリーマンではないのは確かだ。

 

サウナは人によってはオフであるが、人によってはオンなのだろう。サウナで仕事って、結構、効率いいのかも。

 

脱皮感

毎日にようにサウナに入るとわからなくなることがある。それは「脱皮」ともいえる感覚だ。時間的、精神的余裕のない日々を過ごし、久々にサウナに行くと味わえるあの感覚。

最初に出てくる汗が油っぽい。しばらくすると水っぽっくなる。その時、皮が一枚めくれたような感覚になる。単に前が汚かっただけなのかもしれないが、表面を洗うのと違う、あの感覚。詰まっていた何かが抜け落ちた、あの感覚。

汗をかくというよりも、汗を抜く、という言葉が適切なのかもしれない。

「整った!」というより「抜けた!」、というのが、私のサウナ道。

暑い日の熱いサウナ

前回の記事では、外も内も「暑い」という言葉を使ってしまったが、サウナの場合、温度の高さは気候に基づくものではないので「熱い」が正解。

 

なるほど、暑さvs熱さというのが真夏日のサウナを解く鍵なのか、と勝手に感心してしまった。暑さを熱さで克服する(本当はできてない)というコンセプトに、強引な「サウナ道」を見つけてしまいそうだ。

 

私もそうだったが、サウナ初心者は慣れない高温環境のせいか、湯あたりならぬサウナあたりを起こして、ふらふらになることが多いようだが、それはそれまでの外気との寒暖の差があまりにも激しいからなのだろうか。そうすると40度近い猛暑の日のサウナの方がそういった「あたり」を避けることができ、初心者にはやさしいサウナ入門となるののかもしれない。いや、猛暑で体力を使い果たした後にサウナなんて健康的には逆効果だ、というお叱りを受けそうでもある。何れにしても、水分補給だけはしっかりととる必要がある。これだけは確実だ。

 

サウナに慣れていない人の多くには、サウナーの人々は「寒中水泳の逆バージョン」のように映っている。

 

ロウリュウとかいいよ、といっても、あれも寒冷地の滝修行の逆バージョンのように映るだろう。確かに、慣れていても熱いを越して痛いレベルのロウリュウもあってびっくりする。あれを初心者が受けたらトラウマになるだろう。

 

風呂上がりの一杯には共感する人は多かろうが、サウナ上がりの一杯との違いをどう伝えるか。サウナは苦行ではない。

 

いろいろサウナ本が出ているが、サウナーには共感を呼ぶが非サウナーにはなにやら「宗教」のように見えているのかもしれない。怪しい人々の怪しい儀式。そういった異次元の一体感は確かにあるのだが。。。

 

とりとめのない話になってしまった。